私の父は十四の歳に鹿児島の片田舎から大阪へ出てきて、3軒の菓子屋で修業の後、文字通り「徒手空拳」、わずか四十円の資金を元手に1934年、25歳のときに10坪の作業場で、手作りの高級チョコレート、高級キャンデーの製造を始めました。
その翌年、私が誕生しました。ですから私は生まれながらのショコラティエです。父が創業のとき心に決めていたことは「自分の子どもや母親に安心して食べさせられる菓子しか作らない」ということでした。それが父の「志」であり、彼の最初の会社「アジア・コンフェクショナリー・カムパニー」の創業哲学でした。
チョコレート業界ですごした私の歳月も、気がつけば53年。オリムピア製菓(株)、(株)日本チョコレート、(株)ノイハウスジャパン、(株)ベルジャンチョコレートジャパン、(株)ベルジャンチョコレーツヨーロッパ、(株)チョコヴィックジャパンと幾つもの会社の役員を歴任しましたが、その間「志」ということばを忘れたことはありません。
父から私が承継したもの、それは彼の創業哲学の「志」です。(株)ベルジャンチョコレートジャパン創業以来の「志」を貫くために、長い歳月をかけて開発した原料チョコレート「Divinus
Cibus」、スペインのチョコヴィック社のチョコ原料をご覧ください。その他、プラリネ、チョコレートドラジェ等々、「世界に一つしかない」(Global
Only One)、「世界で一番のもの」(Global No. One)の製品です。これらは私の「志」の結晶です。